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佐竹氏の残した穴
2017 / 01 / 28 ( Sat ) 戦国時代といわれた安土桃山時代、常陸国を統一した佐竹氏は、その
経済基盤として金山開発に力を入れました。 茨城県内には、県北を中心に佐竹時代の金採掘跡がたくさん残っています。 ここ日立市でも、大久保鉱山や赤沢鉱山が知られています。 今日は、いつもの裏山散歩でちょっと足を延ばし、採掘跡を見てきました。 ![]() 大久保鉱山の採掘穴です。 入口は、落石でだいぶ塞がっていました。 ![]() すぐ近くには、白い石英脈が見られます。 金鉱石は、この石英脈に含まれています。 この石英は、海底の熱水鉱床でつくられたものです。 ![]() ここも採掘穴です。 案内板には、「今から400年以前に佐竹氏が金を掘った穴跡」 と 書かれています。 ![]() 手掘りで穴奥の石英脈まで掘り進んだのでしょう。 山奥のこの地で金を掘り当てるという、執念を感じます。 ![]() この辺りは、今から3億年くらい前の古生代ペルム紀に堆積した、 鮎川層と呼ばれる地層です。 主に砂岩と泥岩が堆積した地層で、この地層からはフズリナと 呼ばれる有孔虫や、三葉虫の化石が発見されています。 これは、砂岩が熱や圧力などで変質した粘板岩です。 ![]() スポンサーサイト
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砂金を採取してきたのですか? 金山探検で、厚く溜まった埃をフーと吹き払えば重い砂金が出て来たとか!! 金山坑道というだけで、何かワクワクしますね!!! 29日に高峰という栃木、茨城県境の山をハイキングしてきました。 この山の周辺にはかつて「砥石山」が有りました。今回その坑道跡と思われる窪地の周辺をウロウロしてコッパを拾ってきました。 今日その石を少し成形して刃物を研いでみました。 結果は◎でした。 かつての深沢砥という砥石です。 栃木、茨城県境に横たわっている尾根は、かつての砥石山が数か所有ったようです。 助川砥も何か所かの採掘場が有ったそうですね。機会があったら又行ってみたいものです。
by: 山さん * 2017/01/30 21:52 * URL [ 編集] | page top↑
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大子の栃原金山などは、20年位前まで金鉱石の採掘をしていたようです。 私も、廃鉱になった栃原金山を訪ねたことがありますが、鉱石採取には面白いかもしれませんね。 茨城と栃木の県境の山は、高峰ではなく高峯ですか。 八溝山地の山で標高520メートルの。 深沢砥は粘板岩ですね。 ----
素人の見た目ですが、助川砥のようなスベスベ感はありません。 もう少し粒度が荒いように見えます。 砂岩よりは泥岩に近く、手で撫でるとザラツキを感じます。もしかしたら変成を受けているような感じ(素人判断) 研いだ感じでは研ぎ面が助川砥よりはスベスベ感は落ちますが、普通の包丁ではそのまま使用できそうなまでに研げます。 昔購入した砥石と同じ砥石山と思われます。中砥として使用していました。良い砥石です。 ----
助川砥は、採掘していた朝日忠蔵さんの話では、粘板岩を荒砥で磨いて製品にしていたとのことです。 荒砥で磨くと、相手も荒いでしょうし、それでも中砥くらいまで仕上がるのでしょうか。 砥石の良し悪しは、たくさん使ってみないとわからないでしょうね。 |
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