日立の歴史のある山を訪ねて
2016 / 02 / 11 ( Thu )
日立には、かって助川青砥 (すけがわあおと) と呼ばれた、質の良い砥石が
作られていました。
今日は、4年前に歩いた青砥の採掘地を再訪しました。
(4年前の、記録はこちら)
http://yamazaru1203.blog75.fc2.com/blog-entry-182.html

かつては、この道を馬やそりを使って砥石を運んだのです。
ここには、砥石の原料となる粘板岩 (ねんばんがん) が積まれていました。
1作業道

砥石の原料となる粘板岩の露頭です。

この地層は、まだ日本列島が影も形もなかったペルム紀と呼ばれる
時代、後の中国となる大陸の東端に堆積した地層です。
今から2億数千万年前の古生代最後の時代で、この後、中生代に
変わります。
ペルム紀の泥や砂が堆積してできた頁岩 (けつがん) が、白亜紀に地下で高い
温度圧力を受け、粘板岩に変化したものです。
2粘板岩露頭

採石場近くにある作業場です。
ここでは、掘り出した原石を人の手によって砥石の形に切り出して
いました。
後には、石油発動機を動力とした丸のこで、石を切り出したのです。
当時の作業台や、丸のこ刃などが放置されています。
3作業機械

ここでは、掘り出した石が積まれていました。
これから、砥石の形に整形するものでしょうか、それとも質が悪く
捨てられたものでしょうか。
4作業機械

錆びたリヤカーも、放置されています。
5リヤカー

この後、助川山市民の森から高鈴山に向かうハイキングコース
途中にある金山 (かなやま) 百観音に向かいました。

百観音とは、西国、坂東、秩父の合計百ヶ所の札所を呼びます。
古くから、この百の札所を巡拝すればご利益があるという考えが
あったようですが、昔はそれを実現するのはたいへん困難なことでしょう。
このため、このように石仏を彫り、奉納すれば百観音を巡拝したのと
おなじご利益があると信じられるようになり、各地に広まったのです。
6百観音

ここに置かれた石仏の多くは、西国と秩父のもので、茨城が含まれる
坂東の石仏は少ないようです。
この石仏は、西国第六番と彫られています。
7観音像

百観音とはいえ、ここにあるのは七十基ほどのようですが、三つの
石祠を囲むように置かれています。
8百観音

ハイキング道には、このような白い石が多く見られます。
これは珪石で、セメントやガラスなどの原料となります。
9珪石

助川山市民の森からは、太平洋が見渡せます。
左に見える小ピークは助川山とか、おむすび山と呼ばれ、山頂には
東屋が建てられています。
稜線を右に下ると、ゴンドラのようなものが見えます。
これは、架空索道 (かくうさくどう) と呼ばれ、日立セメントが採掘した
石灰石を貯石場に運び、そこからベルトコンベアで工場まで運ぶための
ものです。この架空索道が運転されているのは、国内ではここだけです。
10索道
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コメント
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私も行きたいと念じつつ月日ばかりが過ぎて行きます。
思えばあの時、R51で追突事故に遭わなければ同じ土俵で話が出来たでしょうに。
相棒との調整をしていると何時になるか分からないかもしれないので、そろそろお願いしましょうか?

弁当だけ持って(高鈴山のスズダケ弁当箱が出来たので)行きます。
火木土日が私の時間が自由になります。
ご検討下さい。
by: 山さん * 2016/02/14 08:53 * URL [ 編集] | page top↑
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山さん
それでは2/28(日)はいかがでしょうか。
詳細はメールします。
by: yamazaru * 2016/02/14 17:56 * URL [ 編集] | page top↑
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