巨石と信仰の山、竪破山
2014 / 12 / 28 ( Sun )
日立市の最高峰であり、山中にある二つに割れた大石、太刀割石
(たちわれいし) が名前の由来となったといわれる竪破山 (たつわれさん)
歩きました。

ここは竪破山ハイキングの起点であり、山中に祭られた黒前 (くろさき)
神社の入口でもあります。
黒前神社入口

神社参道を歩きます。
ここは神域であり、人の手は加えられていないのでしょう、薄暗い林内
を歩きます。
参道

すぐに不動石と呼ばれる巨石が現れます。
この石は、黒前神社の祭神が浜降りの時、神輿の休み場所であったと
言われています。
不動石

烏帽子石です。八幡太郎義家が神社に参拝した時、かぶっていた烏帽子
に似ているそうです。
烏帽子石

林内には名前の付けられていない巨石もたくさん現れます。
巨石

炭焼き小屋跡も現れました。
ここには、「これは昭和25年頃まで使っていた炭やき釜で、あかめやき釜
といって、たいへん珍しいものです」、というようなことが、書かれています。
あかめやきとは備長炭で知られる白炭のことです。バーベキューなどに
使われ、ホームセンターなどで売られているのは黒炭です。
炭焼き小屋跡

黒前神社方面に向かいます。仁王門をくぐると、その先に釈迦堂が
建てられています。ここには、舟石と甲石 (かぶといし) と名づけられた
大きな石があります。
舟石はその名のとおり舟の形をした石で、甲石は大きな石をくりぬいて
祠をつくり、その中に薬師如来の十二神将が祭られているとのことです。
舟石と甲石

黒前神社の拝殿です。
ここから竪破山山頂方面に向かうすぐ先に、石造りの本殿が建てられて
います。
黒前神社

二等三角点の設置された竪破山山頂です。
ここには展望台が建てられ、阿武隈山地の山々から那須連山、日光
連山を俯瞰することができます。
竪破山山頂

北西方面に向かうと、ブナの巨木が現れます。
樹皮は日本海側のブナに比べるときれいではありませんが、太平洋側
では珍しいもので、神域として守られてきたためでしょうか。
樹高や枝振りなどは、東北のそれと比べても見劣りするものではありません。
ブナ

太刀割石です。東北大震災を経て、下にずり落ち、傾斜もきつくなって
いるようです。
この石は花崗岩です。陸地を構成する主要な岩石で、中生代白亜紀に
形成されたものです。
二つに割れた平らな面は節理、反対側の丸みを帯びた面は風化による
ものです。
節理とは岩に大きな力が働き、割れ目ができることです。
風化は地表に露出した岩石が、気温や雨、風などにさらされ、時間と
共に破壊されていくことです。
太刀割石

節理面です。石英、長石、黒雲母からなります。
大きな結晶ですが、風化が進んでいるようです。
花崗岩

道の途中の崖からは、砂がさらさらと落ちてきます。
これは花崗岩の風化が進んで、砂状に変化したもので、真砂土
と呼ばれるものです。
今年8月に広島で発生した豪雨による土砂災害でも、この真砂土
の表層崩壊が大きな原因となっているようです。
真砂
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消滅集落(その2)
2014 / 12 / 23 ( Tue )
筑波にお住まいの人からメールで「福島県矢祭町にある檜山に
茨城県側から入る道はないのですか」と、問い合わせがありました。

今回はその確認山行の後編です。
先日は檜山から萩 (おぎ) 集落までを往復しました。
福島県内の山行ですが、今日は茨城県大子町高久から荻までの歩きです。
地形図を見ると、民家脇の流れる沢沿いを北に向かい、茨城、福島の県境
を北西に歩き、そのまま萩まで沢を歩きます。
萩の集落からは地形図に点線で書かれた山道を戻り、高久から西の道路に
戻ります。
萩集落

ガードレールが切れたところから、下の沢に下ります。
この近くにお住まいの方から話を聞くと、以前この先の萩に住んでいた
人も、ここから出入りしていたそうで、10年位前から萩には人が住まなく
なったようです。
ここから入る

沢沿いの道を歩きます。
沢

林業の作業道でしょうか、時折複数の道が現れます。
ここは地図をよく見て、沢を外さないように道を選びます。
枯れ沢には、いつに降ったものか、残雪が見られます。
山道

道はしっかりしていますが、ところどころぬかるみが現れます。
山道

右手に耕地跡でしょうか、今は草に覆われた耕作放棄地が現れました。
山道

地形図では、この付近は荒地ではなく、田んぼとして表示されています。
ここでは、かって萩に住んでいた人たちが米などを作っていたのでしょうか。
田んぼ跡

右手に竹林が見えると、まもなく萩の集落です。
集落口

住居跡です。
住居跡

住居跡です。付近には生活用品が散乱していました。
住居跡

住居跡です。周りに電柱のようなものは見当たりません。
電気のない生活をしていたのでしょうか。
住居跡

よく整備された茶畑がありました。
後で聞いた話ですが、ここ萩の元の住民が、この茶畑の整備を、今も続けて
いるようです。
茶畑

「馬頭観世音 天保六年」と彫られています。
江戸時代の人は、この道を何の目的で歩いていたのでしょうか。
馬頭観音

地形図に点線で示された山道は、作業道などが輻輳しています。
手入れの行き届かないスギの人工林の中を歩きます。
枝打ちや間伐などの保育がされておらず、林床植物はほとんど見られません。
山道

最後はヤブの中を突破し、道路に出ました。
出口
今回の山行で、福島県に位置する山である檜山に、茨城県側から通じる道が
判明しました。
登山口から檜山山頂まで、直線距離にすると3kmほどの距離で、標高差も
160m程度です。普通に歩けば2時間ほどで、山頂まで行き着くでしょう。
しかし、道が多少荒れていることと、地形図に書かれていない道を歩くことに
なるので、読図力も必要になると思います。
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ジオネット研修会
2014 / 12 / 14 ( Sun )
田切先生の勉強会です。
今日は御岩神社から日鉱記念館、大煙突、神峰公園を回りました。

御岩神社はHPの神社紹介によると、「旧水戸藩祈願所であり、神仏習合の
社」、のようなことが書かれています。
明治元年に新政府により神仏分離令が発令されたにもかかわらず、御岩
神社では、神も仏も祭られているのです。
またこの地は、知る人ぞ知るパワースポットなのです。
この日も若い女性5人組が訪れていました。
御岩神社


御岩神社

神社の本殿脇を流れる小さな沢で、岩石の研修です。
主な石は5億年前の変成花崗岩、白雲母片岩、角せん岩などがごろごろ
しています。
御岩神社
御岩神社から日鉱記念館に向かいました。
ここでは、田切先生の案内により館内を見学し、周辺で露頭を見ました。

その後はJX日鉱の駐車場をお借りして、旧日立鉱山の煙害にまつわる
話を聞き、煙突の説明を受けました。
これは日立製作所創業小屋跡です。
ここに建てられた小屋は、現在は日立工場の小平台に移設されています。
創業の地

大煙突です。完成から78年を経た平成5年に崩壊して、今は完成時の1/3の
高さとなっています。
大煙突の手前に見える煙突は、当時「阿呆煙突」と言われたダルマ煙突です。
大煙突

勉強会の最後は神峰公園です。
ここには5億年前の岩石が露出しています。
展望台に上りました。手すりにはたくさんの鍵が取り付けられていました。
これは「愛の南京錠」というそうです。
もともとヨーロッパのほうで始まったようですが、こんなところにも広がって
いるのですね。
神峰公園

このあと、ジオネット日立のメンバーで忘年会です。
会場近くのシビックセンターでは、ツリーのライトアップが行われていました。
シビックセンター
17 : 25 : 25 | ジオパークインタープリター | トラックバック(0) |  コメントはこちらから(2)  | page top↑
修善寺温泉の旅
2014 / 12 / 04 ( Thu )
伊豆修善寺温泉に一泊の予定で行ってきました。
東名高速足柄SAから見た富士山です。
冠雪した中腹左側に、307年前の1707年に噴火した宝永火山の
火口が見えます。
最も新しい富士山の噴火から300年以上を経た今、必ず起こると
いわれ、現代日本に深刻な被害をもたらすであろう富士山の噴火
が危惧されています。
富士山

石川さゆりの「天城越え」で歌われた「浄蓮の滝」です。
滝の向かって右側には、火山岩である玄武岩の柱状節理が観察できます。
落差25mの滝ですが、なかなか雰囲気のある滝です。
浄蓮の滝

これも同じ「天城越え」の天城トンネルですが、私には吉永小百合さんの
「伊豆の踊子」のイメージです。
全長約445mの石造りのトンネルを車で往復して来ました。
天城トンネル

この日は修善寺温泉から少し離れた「神代の湯」に宿をとりました。

翌日は青空の広がった前日と一転し、朝から雨模様のお天気です。
修善寺温泉にある曹洞宗修善寺にお参りしました。
修善寺

お寺の境内で、だるま石と呼ばれる面白い石を見つけました。
だるま石

これも境内の掲示板に貼られていたものですが、妙に納得しました。
NHKで朝の連続テレビ小説「花子とアン」の中で、花子の父と兄との
間でも同じような会話が交わされていたようですが、最初に読んだのは
誰なのでしょうか。
ひっしに生きていれば

修善寺からすぐ近くの「独鈷の湯 (とっこのゆ) 」と呼ばれる史跡です。
修善寺温泉のシンボル的存在で、かっては湯治客や地域の人たちに
利用されていたものですが、今は入浴は禁止されています。
独鈷の湯

独鈷の湯から歩いてすぐの「竹林の小径」と呼ばれる散策路です。
竹林の小径

狩野川の支流桂川に架かる桂橋です。
赤い橋ともみじの紅葉、下を流れる清流は、伊豆の小京都と呼ばれる
由縁でしょうか。
桂川

修善寺の近くにある日枝(ひえ)神社です。
もともとは修善寺の一部であり、守り神であったのですが、明治元年の
新政府による神仏分離令により、仏である修善寺から、神である日枝
神社に分離されたのです。
日枝神社
22 : 27 : 53 | ぶらり旅 | トラックバック(0) |  コメントはこちらから(1)  | page top↑
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